東京地方裁判所 平成6年(ワ)3415号 判決 1995年12月26日
主文
一 被告甲野一郎は、原告に対し、別紙第一物件目録一記載の土地につき、別紙登記目録一1、2記載の各所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。
二 被告らは、原告に対し、別紙第一物件目録二記載の土地につき、別紙登記目録二1、2記載の各所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同旨
第二 事案の概要
本件は、原告が、被告らの被相続人との間で、交換に伴う課税処理につき法人税法五〇条(交換により取得した資産の圧縮額の損金算入)及び所得税法五八条(固定資産の交換の場合の譲渡所得の特例)の適用があることを前提に各所有土地の交換契約を締結し、その旨の各所有権移転登記も経由したところ、その後、税務当局から右特例の適用を否定され、高額の課税負担を生じたため、被告らに対し、交換契約の錯誤無効を主張して、交換による被告らの取得土地につき、所有権移転登記の抹消登記手続を求めている事案である。
一 基礎となる事実(証拠を掲げた部分以外は争いがない)
1 原告は、平成三年一月一八日、甲野太郎(以下「亡太郎」という。)との間で、原告所有の別紙第一物件目録一記載の土地(以下「A土地」という。)及び同目録二記載の土地(以下「B土地」という。)と、亡太郎所有の同目録三記載の土地(以下「C土地」という。)とを交換する旨の契約(以下「本件交換」という。)を締結した。
2 亡太郎は、右同日、A土地及びB土地につき、本件交換を原因として別紙登記目録一1記載及び同目録二1記載の各所有権移転登記を経由し、原告は、同年一月一九日、C土地につき、本件交換を原因として同目録三記載の所有権移転登記を経由した。
3 亡太郎が同年八月二六日に死亡し、同人の共同相続人間の遺産分割協議の結果、長男の被告甲野一郎(以下「被告一郎」という。)がB土地の持分一〇分の四とA土地を、妻の被告甲野花子がB土地の持分一〇分の六をそれぞれ取得し、同年一二月四日、いずれも相続を原因として、被告一郎は、A土地につき別紙登記目録一2記載の所有権移転登記を、被告らは、B土地につき別紙登記目録二2記載の共有名義の所有権移転登記をそれぞれ経由した。
4(一) 原告は、本件交換が行われた日の属する事業年度の法人税の確定申告に当たり、本件交換につき法人税法五〇条の適用があることを前提に所得金額を計算した。
(二) しかし、渋谷税務署長は、平成五年七月三〇日、原告に対し、右規定の適用を否定して、所得金額の計算上、譲渡資産であるA土地及びB土地の売上利益二億八四六四万〇九八〇円(取得資産の価額二三億一九七三万六〇〇〇円から譲渡資産の帳簿価額一八億〇五五九万五〇二〇円及び交付した交換差金二億二九五〇万円を控除したもの)の計上もれがあるとして、外一件の交換取引に係る売上利益計上もれと併せ、所得金額を七億七〇七九万九六一三円、納付税額を二億七七九五万八七〇〇円とする更正処分並びに過少申告加算税二一万二〇〇〇円及び重加算税六八六八万〇五〇〇円の賦課決定処分(以下「本件更正等処分」という。)をした。
(三) 原告は、平成五年九月二九日、本件更正等処分に対して異議申立てをしたが、東京国税局長から平成六年六月七日付けをもって異議申立てを棄却する旨の決定がされたので、同年七月五日、国税不服審判所長に対して審査請求をし、現在係属中である。
5(一) 一方、亡太郎も、平成三年分所得税の確定申告に当たり、本件交換につき所得税法五八条の適用があることを前提に所得金額を計算した。
(二) しかし、亡太郎の死後、被告一郎は、税務当局から右規定の適用否定を示唆されたため、平成五年一二月一七日、これを前提にして計算した納付税額三億六五四一万八六〇〇円の修正申告をし、四谷税務署長は、平成六年一月三一日付けをもって、被告一郎に対し、過少申告加算税五二二二万二五〇〇円の賦課決定処分をした。
二 原告の主張
1 原告は、事業遂行上、昭和六二年ころから、亡太郎所有のC土地の取得を強く望み、同人に対し、その売渡方を申し入れたが、同人は全く応じなかった。亡太郎は、昔気質である上、多額の譲渡所得税が賦課されることを危惧しており、このような多額の税金が賦課されることは絶対にないという前提でなければ、いかなる契約も締結しないと考えられたところから、原告は、売買方式に代え、こうした課税問題を生じないような交換方式をとることに方針変更した。そこで、亡太郎に対し、所得税法五八条の特例の適用が可能であるから交換差金以外は課税されず、税金の面でもメリットがある旨説明し、かつ、原告としても、法人税法五〇条の特例の適用により自社に課税問題を生じないと確信して、原告所有のA土地及びB土地と亡太郎所有のC土地との本件交換を申し込み、ようやく亡太郎の承諾を得た。このように、原告及び亡太郎は、本件交換に当たり、交換差金以外の課税問題を生じないで交換を実現できるという動機を相手方に表示したものであり、課税上の特例の適用が否定され、多額の課税負担を免れないとすれば、原告において本件交換の申込みをせず、亡太郎もその承諾をしなかったことは明らかであるから、交換により、双方に交換差金以外の課税問題は生ぜず、税金を負担することはないことが本件交換の意思表示の内容の重要な部分になっていた。
2 ところで、本件交換については、税務当局により、法人税法五〇条及び所得税法五八条の適用が否定され、前記のとおり、原告は本件更正等処分を受け、また、亡太郎及び被告一郎も、修正申告分及び過少申告加算税等の課税負担を余儀なくされたから、本件交換は要素の錯誤により無効というべきである。
3 よって、原告は、本件交換の無効による原状回復として、被告一郎に対し、A土地につき、本件交換による亡太郎名義の所有権移転登記(別紙登記目録一1)及び相続による被告一郎名義の所有権移転登記(同目録一2)の、被告らに対し、B土地につき、本件交換による亡太郎名義の所有権移転登記(同目録二1)及び相続による被告ら共有名義の所有権移転登記(同目録二2)の各抹消登記手続を求める。
三 被告らの主張
1 亡太郎は、原告から所得税法五八条の特例の適用があるとして本件交換の申込みを受けたことはあるが、原告主張のように課税問題を生じないことが本件交換の要素となっていた事実はない。むしろ、右特例の適用を受けるためには、原告及び亡太郎の双方につき税法上の所定要件を充足することが必要であるが、亡太郎は、原告につき右要件を充足しているか否かは確認できなかったため、本件交換により課税問題が生じた場合には、亡太郎に錯誤が存在するか否かを問わず、原告において課税相当額を負担し、これを亡太郎に支払う旨合意したものである。
2 したがって、原告の錯誤無効の主張は失当であるばかりでなく、むしろ、右合意に基づき、原告は、被告一郎に対し、本件交換につき所得税法五八条の適用が否定されたことに伴う同人の修正申告分及び過少申告加算税等の課税相当額につき支払義務を免れない。
四 本件の争点
本件交換は原告主張のように要素の錯誤により無効であるか。
第三 争点に対する判断
一 本件交換に至る事実関係
前記基礎となる事実と証拠(甲七、乙一ないし五、七、証人細井茂、被告甲野一郎本人)並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下のとおり認められる。
1 原告は、土木建築工事の設計・施工、不動産の売買・交換・賃貸等を目的とする会社であるが、昭和六〇年ころから東京都新宿区新宿一丁目の商業ビル用地の買収を進め、新宿通りに面した土地のうち、C土地の二筆隣りに位置する四番一一の土地を昭和六一年一月ころ、C土地より少し離れた六番の一四の土地を同年八月ころ、C土地に隣接し右四番一一の土地との中間に位置する四番一二の土地中、四番二四の土地として分筆した約七坪の土地を昭和六二年九月ころ相次いで買収し、さらに、別の一画にあるA土地及びその地上の別紙第二物件目録一記載の建物(以下「A建物」という。)を昭和六二年九月ころ買収した後、C土地の買収も進めることになった。
2 亡太郎は、C土地とその地上の別紙第二物件目録三(一)記載の建物(以下「C(一)建物」という。)を所有し、同目録三(二)記載の建物(以下「C(二)建物」という。)を長男の被告甲野一郎(以下「被告一郎」という。)と共有して、C(一)建物を住居と絹織物・裏地販売の自営店舗として使用し、C(二)建物を他に賃貸していた。昭和六二年八月ころ以降、亡太郎は、原告の開発事業部の担当者である細井茂(以下「細井」という。)からC土地を売却してほしい旨の申入れを再三にわたって受けたが、自分の土地を売る必要はないし、土地の譲渡に伴う課税の問題もあり、本業でないビル事業等で金もうけをすると本業に影響するなどの理由から右申入れを頑として拒否していた。
3 しかし、原告は、C土地を買収済みの隣接二筆と一体として利用するため、これを取得する必要に迫られ、なおも亡太郎に働き掛けるとともに、この間、少し離れた一画にあるB土地及びその地上の別紙第二物件目録二記載の建物(以下「B建物」という。)を買収できる見通しとなったところから、昭和六二年末ころ以降、税法上の交換の特例により、双方に交換差金等以外の課税問題を生じないようにして、C土地をA土地及びB土地との交換により取得する方法を検討することになった。その結果、法人税法五〇条及び所得税法五八条の適用を受けるためには、棚卸資産ではない固定資産の交換であること、固定資産の所有期間がいずれも一年以上であり、交換の目的で取得したものではないことが前提になるが、A土地及びB土地は棚卸資産ではあっても固定資産に切り替えてその後一年を経過すれば、税法上の交換は成立するとの社内的な結論に達した。
4 そして、細井において、亡太郎に対し、税金のことでは絶対に迷惑を掛けない、交換差金等以外の課税問題は生じない、亡太郎の住居・店舗も原告の費用負担でB土地上に建築するなどと説明して、本件交換に応ずるよう熱心に説得を重ねた。亡太郎は、当初、これも拒否していたが、被告一郎は、細井の説明内容を受け、その熱意に打たれ、亡太郎が近所でも頑固者と評判になっていることから亡太郎を説得した結果、亡太郎も、ようやく態度を軟化させ、昭和六三年一〇月ころ、右のとおり課税問題を生じないことを大前提として、ようやく本件交換に応ずる意向を示すようになった。一方、原告も、交換に供しようとする資産を固定資産に振り替える社内的措置を講じて本件交換に備えた。
5 そこで、原告と亡太郎及び被告一郎は、平成二年一〇月末日を目途に正式契約を締結することを予定して昭和六三年一一月二五日付け覚書(以下「本件覚書」という。)を取り交わした。その中で、双方が税法上の交換の要件を満たすこと、すなわち、原告については法人税法五〇条、亡太郎については所得税法五八条の各特例の適用を受けることを条件に、本件交換により各所有土地を譲渡すること(1条)、亡太郎はC(一)建物を原告に売り渡し、これと同時に、原告はB土地上にB建物とは別の亡太郎の仕様による住居・店舗(延床面積一一四坪を目途)をC(一)建物の代金相当額(一億五〇〇〇万円)で建築してこれを亡太郎に売り渡すこと(2条)、双方は以上による契約内容を特定させるため契約上の準備行為を誠意をもって履行し、その特定をまって正式契約を締結すること(3条)、原告はC(二)建物の賃借人の立退交渉を自己の費用及び責任において一切解決すること(4条)、右交換により税金その他予定外の損害が亡太郎及び被告一郎に発生した場合は原告がすべてこれを補償すること(6条1項)が合意された。
6 原告は、昭和六三年一二月ころ、B土地及びその地上のB建物を買収した後、平成三年一月一八日、亡太郎との間で、原告所有のA土地及びB土地と亡太郎所有のC土地を交換する旨の本件交換に係る契約書(以下「本件交換契約書」という。)及び確認書(以下「本件確認書」という。)並びにA建物及びB建物に係る二通の売買契約書を作成した。これらによれば、本件交換契約書は本件覚書の本旨に従い作成された合意文書であって、これと一体として理解されるべきものであるが、交換地上の建物については税法上の特例が適用されないところから、本件覚書2条による建物の買換え方式を変更して、C(一)建物は亡太郎名義のまま原告の費用負担において解体してその滅失登記手続をし、原告が亡太郎に支払うべき交換差金二億五八三〇万円をもってB土地上に亡太郎仕様の前記建物を建築すること(本件確認書2項)に改められた。ここには、双方の交換土地について税法上の特例が適用され、したがって、本件覚書1条の条件を充足するからこそ、双方が本件覚書に基づいて正式契約としての本件交換契約書を作成するに至ったとの経緯が明らかにされている。
7 また、本件交換契約書及び本件確認書において、原告は、亡太郎に対し、本件交換に伴う交換差金二億二九五〇万円とこれに課税される公租公課七六一〇万九〇〇〇円(原告の試算による)を支払うほか、諸経費として、土地建物登録費用五二三万八〇〇〇円、不動産取得税四一二万五〇〇〇円、印紙税三〇万円及び消費税一三七〇万四〇〇〇円を、原告が売買目的たるA建物を亡太郎から賃借するに当たって差し入れる保証金に加算して支払うこと(本件確認書5項)、本件交換契約書及び本件確認書により亡太郎に発生する右課税以外の公租公課若しくは原告の試算に係る右交換差金課税を超過した場合の公租公課はすべて原告が負担すること(同4項)が明記されている。しかし、本件交換につき税法上の特例が適用されないことによって亡太郎に発生すべき課税負担については何ら触れられておらず、これも原告が負担すべきものとする趣旨は全く窺えない。
8 さらに、本件確認書7項では、亡太郎が本件交換に基づき確定申告した後、右確認書に規定された前記課税以外に経費が発生した場合は、原告が全額負担する旨定められているが、他方において、前記のとおり、本件確認書は、交換差金に課税される公租公課と限定列挙している諸経費とを明らかに書き分けており、本件交換につき税法上の特例が適用されないことによって亡太郎に発生する課税負担も右7項により原告が全額負担すべきものとする趣旨は全く窺えない。
二 要素の錯誤の成否
以上の認定事実に基づいて考察するに、本件交換は、税法上の交換の特例により、原告と亡太郎の双方に交換差金等以外の課税問題を生じないこと、すなわち、原告については法人税法五〇条、亡太郎については所得税法五八条の各特例の適用があることを大前提として締結されたものであり、亡太郎が本件交換に伴う税金の負担を全く考えていなかったことはもとより、原告も、本件交換に伴う交換差金二億二九五〇万円課税される公租公課七六一〇万九〇〇〇円(原告の試算による)並びに前示の不動産取得税、印紙税及び消費税を除き、その余の公租公課が自己及び亡太郎に賦課され、これを原告において負担することは全く考えていなかったことが明らかである。
もっとも、本件覚書6条1項は、本件交換により税金その他予定外の損害が亡太郎及び被告一郎に発生した場合は原告がすべてこれを補償する旨定めていることは、前示のとおりである。しかし、本件覚書は、他方において、正式契約は双方が交換の要件を満たすことを条件に締結されるべきことを定めており(1条、3条)、本件交換契約書は、このような条件を満たした正式契約として作成されるに至ったものであることに照らすと、本件覚書6条1項が、本件交換について税法上の特例の適用が否定される場合、すなわち、交換契約締結の前記大前提が欠落するような場合に生ずべき予定外の損害の補償措置を定めたものとは解することはできず、その当時予想されていたとしても正式契約の締結の支障とならない程度の予定外の損害についての補償条項を定めたものと認めるほかはない。
このように、原告は、本件交換の申込みをする当たり、本件交換については法人税法五〇条の特例の適用があり、前記のような交換差金等以外の課税問題を生ずることはないと確信しており、亡太郎もまた、本件交換につき所得税法五八条の適用により自己が課税されることはないことを当然の前提として右申込みを承諾したものである。そして、前示事実関係からすれば、原告及び亡太郎は、本件交換に当たり、右のとおり双方に交換差金等以外の課税問題を生じないで交換を実現できるという動機を相手方に表示しており、かつ、課税上の特例の適用が否定され、多額の課税負担を免れないとすれば、原告としては本件交換の申込みをせず、亡太郎もその承諾をしなかったといえるから、右の点は本件交換の意思表示の内容の重要な部分、すなわち、交換契約の要素になっていたものといわなければならない。
ところが、本件交換については、税務当局により、法人税法五〇条及び所得税法五八条の適用が否定され、原告は本件更正等処分を受け、また、亡太郎及び被告一郎も、修正申告分及び過少申告加算税等の課税負担を余儀なくされたことは、前示のとおりであるから、本件交換は要素の錯誤により無効であるといわざるを得ない。
第四 結論
以上の次第であるから、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 篠原勝美)